野口英世がを渡米する為のお金を1晩で使ってしまったこと

『明治の人物誌』は、星新一の父親(星一)と交流のあった
明治の著名人について描かれています。その内容は、
作者の持ち味である深い洞察力と父親(星一)と偉人達との交流
がなければ知りえないエピソードが散りばめられており、
出てくる著名人は、その偉大さだけでなく、その脆弱なところ、
人間くささが等身大で描かれていて興味の尽きないものに
なっています。特にお札になっているので誰もが知っている
野口英世伊藤博文新渡戸稲造については、改めてその
業績と明治という時代を感じさせるエピソードに胸を打たれます。
江戸時代から明治に変わた時、鎖国から開国へ変わり、
あまっさえ産業革命エジソンの発明の恩恵を受けて日本の社会は
めまぐるしく進化、発展を遂げます。
星新一は、明治に生きた父親を通して、その時代の人々がどの様な
価値観で生きていたのか鋭く洞察する内容になっています。

野口英世が改名した理由】
野口英世は、坪内逍遥の『当世書生気質』を読んで、登場人物
の野々口精作が自分と比べて、名前ばかりか、やることまで
似ているので改名したいと言ったらしい。
当世書生気質』に出てくる野々口精作(医学生)は、
病気と称して郷里から金を送らせ、各所に借金を作り、
酒と女遊びに使っていた。
野口英世がを渡米する為のお金を1晩で使ってしまったこと】
内藤という夫婦に気に入られ、自分の姪と結婚する
条件で渡米する為のお金(参百円)を用立ててもらったが、
仲間数十人で豪遊して使ってしまい。
そのままでは、結婚詐欺になると考えた仲介者の血脇は、
金貸しに参百円を借りてなんとか野口を渡米させた。
野口英世伊藤博文を引き合わせた話】
星新一の父親(星一)は、フィラデルフィアの日本人びいきの
婦人の家で野口英世星一は知り合い友好を深めます
当時、野口英世は、小学校をでただけで、ほとんど独学。
済生学舎に数カ月かよっただけ、中間の段階をすっとばして
大学の研究所で働いているのです。
星は伊藤博文が渡米した時、臨時秘書をしていましたが。
伊藤博文アメリカ旅行の日程に野口の訪問を入れます。
首相クラスの人が応援に来たとなると、研究所内での野口の
格も上がるだろうと考えてのことでした。
新渡戸稲造
新渡戸稲造が1900年のパリの万国博覧の審査委員を
していた時、星と親しく接することになります。
新渡戸稲造は、国際連盟の事務次長になった人物です。
国際連盟のドラモント総長は、各国の都市に連盟精神普及
の為の講師を派遣する時、ほとんどの場合、新渡戸に依頼
した。講演がうまく、そのうえ聴衆に感動を与えること
ができる人が、事務局のなかで彼のほかにいなかったから
だと言っています。
軍部により大陸進出が止められない状況となった時、
日米の関係は徐徐に悪化します。
新渡戸稲造は、『太平洋の橋になりたい』との若き日の
自分への誓いの通り、渡米して日本の立場を説明し、
アメリカを好印象に傾かせようと努力し、多くの実績を
あげます。
【その他の人物】
中村正直−『西国立志編』の訳者
岩下清周
伊藤博文
エジソン
藤猛太郎
花井卓蔵
後藤新平
杉山茂丸
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