28日間書き続けたユダヤ人へのビザ

『教科書が教えない歴史』の中で勇気と友情の物語の
エピソードが感動的で心打たれます。
特に、明治から昭和にかけて日本と外国の
架け橋となるような人が無名であっても沢山出てきます。

以下『教科書が教えない歴史』より引用
『28日間書き続けたユダヤ人へのビザ』
1939年の11月、リトアニアの首都カナウス(当時)
の日本領事館に1人の外交官が領事代理として赴任しました。
名前を杉原千畝といいます。
・・・・・ヒトラーの率いるナチス・ドイツ
反ユダヤ主義』を旗印に、ヨーロッパ各地でユダヤ人狩り
を繰り広げていました。・・・・・・・・・・
ポーランドからやってきたユダヤ難民は、ソ連経由で日本に
上陸し、そこから第3国に落ち延びようと考えていました。
・・・杉原は悩みました。外務省からの訓令は無条件の
ビザ発行は『ノー』でした。指示にそむいて行動するわけ
にはいきません。眠れぬ夜が続きました。
杉原は日本の通過ビザを発行することを決断します。
それからが大変でした。一枚一枚手書きでビザを発行して
行きます。
昼食ぬきの日々が28日間続きます。
この時、発行されたビザを持って日本から各国に脱出した
ユダヤ人の数は6千人に達すると言われています。
杉原は戦後帰国した後、事実上外務省を解雇され
貿易会社につとめるなどしますが、イスラエル政府から
杉原に『諸国民の中の正義の人賞』を授けられました。